「治す」ことと「進化させる」ことの違い

発達障害が「治る」、「治った」という表現を目にすることがあります。

これについては「治る」とは、どのような状態のことを指すのかという問題があると思うのですが、おそらく日常生活で不便を感じたり、不都合のない状態に改善したということなのだと思います。

確かに子どもの発達障害のために散々苦労してきた親御さんにとっては、我が子の発達障害の特性がひょっとすると無くなるのではないだろうかと望みを抱いて、様々な民間サービスや専門家に頼りたくもなることでしょう。

一方で、発達障害は「治る」ものではなく、むしろ「治さない覚悟」が必要だという主張もあります。

発達障害は病気ではないのだから治ることはなく、治そうとする試みは子どもの自信をなくし、ストレスを与えてしまうことにつながるので有害であるという意見です。

ですから、治すのではなくて現状で不便が生じないように環境を整えてあげたり、スキルでカバーすることが大切だというわけです。

実際のところはどちらが正しいのでしょうか?

現実的には、自閉症が治ったという例が様々の異なる調査により3~25%報告されているようです。

この調査の対象となった方全てが適切な療育や対策を受けたわけではないと思いますが、結論から言うと発達障害は的確な対処を行えば「治るかもしれない」といえるかもしれません。

また療育や支援を受ける年齢が早いうちほど有利だというのは間違いないようです。

しかし、私が自分の子どもに対して抱いている支援のイメージは、「治そう」とすることでも、「治さない覚悟」でもありません。

子どもが今もっている特性は、それも含めて現在の子ども自身であり、そのすべてを受け入れようと努めています。

つまり、障害特性は「治す」とか「治さない」とかいう対象ではなく、それを含めての我が子であると受け入れたいのです。そのほうが健全な精神で支援を続けられるような気がします。

発達障害の特性を「治す」「治さない」という基準で考える時点で、その子がもともと良くないものをもって生まれてきたという前提が必要になります。

でも、子どもは誰でもこの地球の宝であり、親にとっては何よりも大切な宝です。良くないものをもって生まれてきた歓迎されていない子などいないはずです。

確かに今の社会では生きづらく適合しにくい面がありますが、時代や国家が違えばむしろ社会でイキイキと活躍できる特性をもった人たちかもしれません。

それなのに、今の日本社会の基準を無理やり当てはめて、みんなで欠陥品扱いしているのが現状なのです。

でも、そのように言ったところで、現代の日本の社会に暮らす限り、適応できなければつらいわけで何もせず手をこまねいているわけにはいきません。

そこでこのブログのテーマでもある「進化」という概念に惹かれました。

「進化する」ということは、現在を否定して全く新しいものを取り入れることのように感じますが、生物の進化の歴史からも分かるとおり、全く別のものに変化することではないのです。

むしろ現在もつ能力を強化したり、高度化することで環境への適応力を一層高めていき、より生存率を上げようとする働きのことです。

ですから、適応という点で考えた場合に、特性を消すことで適応する=「治す」、環境を調整することで適応する=「治さない」といったものとは全く次元の違うアプローチになります。

今の障害特性そのものを生きていくための武器に変えて環境への適応力を高めることが、私の考える「進化」なのです。

何だかただの理想論のように聞こえると思いますが、アスペルガーADHD発達障害改善マニュアルを学んでからは、確かな根拠と手ごたえをつかんだ感があります。

進化のための3つの条件もそのような学びの中から生まれました。

発達障害の子達はもともと良いものをもっています。

ただ、どうしても周囲の目が弱点ばかりに向けられてしまうために、「治す」「治さない」のような議論に終始し、長所は見落とされてしまいます。

子どもの進化(成長)にフォーカスすれば、もはや障害とは呼ばれなくなる日がくると信じています。

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